夜更けの寝言

掛け持ちおたくによる自分用備忘録。感想やレポ未満。

推しを「推し」だと認めた日

題名の通り、推しくんを推しだと認めた日の話です。推しだと認めるまでめちゃくちゃ時間が掛かって、その経緯も不思議だったなあ、と思ったので自分のために書き残しておきたいと思います。前々から書いていたけれど折角なら、ということで認めた記念日に上げようと思います。自分のための文だからね。


まず、推しくんである小坂涼太郎くんに出会ったのは2016年11月13日。矢巾町で観劇した「演劇ハイキュー!!烏野、復活」である。そして推しだと認めたのが2018年12月22、23日に開催されたファンツアー「三太クロースの奇跡」の時。つまり、出会って好きだと認識してから約2年もの間、好きだけど推しじゃない……推しかな、でも違う気がする……を繰り返していたことになる。うん、我ながら面倒な人間である。

元々ハイキュー!!が大好きでその中でも月島くんが好きだった。きっとバレーが大好きなのだろうと察することができるのにのめり込みきれない、何かに悩んでいる月島くんがいつかバレーを楽しいと思える日がきたらいいな、それまでたくさん応援したいな、と思ったのが好きの始まりだったような気がする。流石に7、8年前の自分の気持ちを正しく思い出すのは難しいけれどとにかく応援したい、成長を見守りたい、が月島くんを好きになった一因だったのは確かだ。
演劇ハイキュー!!を初めて観劇したあの日。たまたま通路席に座っていたらその真後ろを真横を小坂くん演じる月島くんが通って行った。「月島蛍は実在する」確かめてみたらTwitterでも私は呟いていた。帰りの電車の中で小坂くんのSNSを調べ、フォローし遡っていたのを今でも覚えている。
次に観たのはライブビューイングだった。カーテンコールで役から本人に戻ったのを見て「あれ?好きかもしれない」と思った。でもまだこの時は「小坂くんを」好きなのではなく、「月島役だから」好きだと錯覚していると思い込んでいた。
勝者と敗者、進化の夏を経て、もしかしたら小坂くんが好きなのかもしれない、と意識し始めたけれど、認めるのが怖くてハイステ以外の舞台へは足を運べずにいた。進化の夏の後、1度だけ、トークイベントへ参加したことがある。12月のキャストサイズイベント。小坂くん、健ちゃん、ジャスティンさんの3人のトークイベントで、たまたま東京遠征と日が被り、とても緊張しながら向かった。舞台上では見きれなかった、SNSでは伝わりきらなかった、会話が頭の中で3個も4個も先に進んでいくために周りに「え?」と聞き返される姿や観客の方への目の向け方、彼の感じ方や話し方に触れて「好きかもしれない」が「好きだ」に変わった。その日、小坂くんが引いたくじが当たって色紙を頂いた。今も部屋に大切に飾ってある。奇しくもこの日は12月23日。運命的だったな、と今なら思う。好きだと認めた1年後に推しだと認めるんだから本当に時間が掛かりすぎだね。

その約2週間後、演劇ハイキュー!!烏野キャストの卒業が発表された。

ここを語らずには通れない。この時になって彼の演技をもっと、もっと観たい、ここで終わりになんてしたくない、と初めて自覚した。この感覚が「推し」ということなのか……?と悩みながら、時々小坂くんのことを「推し」と称すようになった。でもまだ、「推し」と言うには自分の中でしっくり来なくて、でもきっとこれが「推し」ってことなんじゃ……?と悩む日々。SNS遡ってみたら本当に烏野キャスト卒業の後から「推し」と書いていてびっくりした。でもずっと悩んでいたんだ。「推し」とはなんなのか。

そもそも推しとはどういう意味なのか。あまりに悩みすぎて何度も調べた。一説によると、由来は動詞の「推す」の連用形や、それを名詞として用いるようになったことが挙げられるらしい。そこから転じて「モノや人などを他の人に勧めること。その人の評価したい気持ちや応援したい気持ちになるモノや人のことを言う」となっていた。また、近年の美少女アイドルグループのファンの中では自分の一番のお気に入りメンバーを示す表現として「推し」と表現する言い方が定着しており、昨今ではアイドルに関わらず、アニメキャラや球団を対象に「同種のものの中ではこれが一番好き」という意味合いで広く用いられるようになりつつある、ともされていた。

もしかして、もしかしなくても意味合いとしてはとても当て嵌るし、小坂くんを「推し」と呼ばずにどの括りに入れるんだ、と何度も思った。でもまだ認められなかったのだ。どうしても、自分の中で推しという存在を認められなかった。ただただ怖かった。


何故これほど「推し」という言葉に拘るのか。何故これほど「推し」と呼ぶのに躊躇するのか。
それは多分、別界隈での私の応援歴に起因するのだと最近気付いた。
私には十数年応援しているフィギュアスケーターがいる。初めてテレビで観たのは小学生の時。それ以来、試合結果は常に気にしていたし、世界に出た時には嬉しかったし、世界で結果を残した時には大喜びで周りに宣伝したりもしていた。今思えば、推しだったのではないかと思う。同じ地元、同い年、応援し始めたきっかけはただそれだけだった。でも年々、スピンは磨きがかかるし、演技も頑張るし、スケーティングも綺麗になって、遂には上を求めて海外へと飛び出した。初めての試合観戦も初めての遠征も思えば彼が初めてだった。私が「すごいんだよ!」と言っても「へ〜」とあまり反応しなかった世界が、オリンピックを境に姿を変えた。「かっこいい」「かわいい」「いけめん」「王子」違うんだよ……ねえ、彼は才能もあったかもしれないけれどそれ以上に苦労もして努力もした頑張り屋さんなんだよ。ねえ、試合観戦マナーも知らないで飛び込んで彼の演技を壊さないで。ねえ、ミーハーなのはいいけど巻き込まないで。何度叫んだか分からない。気付けば年齢や私の童顔具合も相俟って同じミーハーとして扱われることが増えた。試合会場やパレードに行けばインタビューに出会うことが増えた。その際必ず私をミーハー扱いする。私は彼のスケートが大好きだ。ずっとずっと応援してきた。私は彼を通して知ったフィギュアスケートが大好きだ。でももう世界はそう見てくれない。今も彼を応援しているし、チケットを取れれば試合にもアイスショーにも行く。でももうファンとすら名乗るのが怖くなった。

それが2014年のことだ。あれから何を好きになるにも少し慎重になった。好きだ、ファンだ、と言うのが怖くなった。小坂くんに出会ったのが2016年。推しという存在に怯えていた頃だ。だからきっとずっと認められなかった。私は臆病だから。

はじまりの巨人と最強の場所があった2018年。小坂くんが出演する他の舞台に足を運ぼうかとも思った。たくさん考えて小坂くんが演じる月島くんが大好きだから、今しか観れないそちらに全力を注ごうと思った。小坂くんに出会わせてくれたきっかけ。終わりが見えているとそっちに全力を尽くそうとするのは私の良い所であり悪い所でもある。

最強の場所が始まる辺りに「三太クロースの奇跡」の告知があった。どうしても小坂くんの話が聞きたい、卒業後の声が聞きたい、その気持ちだけで申し込んだ。
最強の場所の時、何度泣いたか分からない。ただ、それが烏野卒業が寂しいのか、物語の内容に泣いたのか、もう自分の中で判断が付けられなかった。

そして参加した三太クロースの奇跡。楽しかった。ハイキューの話を聞きながらも、小坂くんが好きなんだなと再確認した。そして、その中で発された「離れないで下さい、月島頑張ったんで」の一言にすごく心揺さぶられた。そして最後のご挨拶で話した言葉、「月島蛍の言葉を借りると……もじると……?今まで過ごしてきた中で僕程度の男たくさんいるはずなんですよ。それでも応援してくれて見守ってくれて。……これからも謙虚な気持ちを忘れずに頑張っていくのでよろしくお願いします」その言葉に、ああきっと私はこの人をずっと応援していくんだなあと思ったら、すとんと推しという言葉が落ちてきた。うん、推しだよ。ずっと推しという言葉に怯えていたけれど、あなたは私の推しだ。そう思ったら少し心が軽くなったし、世界の色が少し変わった。
たった一言でも心を揺さぶられる、そんな言葉を発する彼を推しと呼ばずして何と呼ぶ。

それからは迷わず推しと呼べるようになった。それからは時間とお金と相談しながらではあるけれど個別のイベントやいろんな舞台を観に行けるようになった。ただ、彼を推しであると認めた、それだけでこんなに気持ちが軽くなるなんて思わなかった。
本当にあの日参加してよかった。あの日参加したから、今なんの躊躇もなく、小坂くんを推しと呼べる。
やっと認められた日のことを忘れたくなかった。だから今書き残している。きっと他の人からすれば、些細なことだし、こんなに躊躇しているのも意味が分からないと思う。でも私にとっては大きな1歩だったんだ。本当に面倒な人間だけど、それが私だから仕方ない。

今年も三太クロースの奇跡に参加してきた。好きだと再確認すると同時に推しだと認めた時のことを思い出して笑えた。「人が好き!」と話す彼のにこにこ笑う姿や「応援して下さる皆様がいての僕達役者ですから」とちょっぴり真面目に話す姿、それから「楽しく生きて下さい!楽しく生きたら来年なんて一瞬で来ます!」という言葉とか。推してて良かった、会いに来て良かった、その言葉だけで救われる、そう思うことがたくさんあって今年も幸せに推し事納めができました。


これからも堂々と推しと言っていきたいし、いろんな舞台、イベントに足を運びたいと思っている。でも私には私の生活があるし、職種や地方民なことも相俟って今後もきっと全ての舞台、イベントに足を運ぶことはできないと思う。それでも推してると言えるの?と言われてしまうかもしれない。でも、私は私のペースで推していくし、好きだって気持ちはちゃんとある。
よく、気持ちの傾け方や量を水に喩える話を聞く。水の量は大抵は有限だ。コップに貯まる水は多い人もいれば少ない人もいる。急激に傾けて短い期間で終わるよりも、自分の追いかけられるペースでゆっくりと傾けて思いが貯まる量と追いかける熱量を同じぐらいにして末永く追い掛けたいし推し続けたいと思う。
今まで大好きなバンドさんがいて、十数年応援しているフィギュアスケーターがいた。でも推しと大きな声で言ったことはなかったし、推しではなくただのファンであると言っていた。小坂くんは初めてできた私の推しだ。
認めるまで長い時間が掛かった。だからこそ末永く推していきたいし、できることなら小坂くんがこうして舞台やイベントに出てくれている間はずっと応援して推し続けたい。
もしかしたらいつか推しじゃなくなる日が来るかもしれない。推しを降りる、という選択をする日が来るのかもしれない。でもそれまではこの気持ちを大切にしながら楽しんでいきたいし、降りた後もこの人を推せて幸せだったと笑いたい。

1年前、推しだと認めてよかった。いつか、最初を思い出したくなったら読んでね、私。