夜更けの寝言

掛け持ちおたくによる自分用備忘録。感想やレポ未満。

映画「魔女見習いを探して」

書いた後ずっと下書きに保存していたけれど今日地上波で放送されるのでこのタイミングであげてみようと思います。



普段は舞台やイベントの感想というかレポ未満のものを上げているけれど、今回は映画の感想を書きたいと思う。


今回観てきた映画は「魔女見習いを探して」

おジャ魔女どれみの20周年記念の映画だ。当時リアルタイムで見ていた大好きな作品。映画に出てくるミレさんが1番歳が近いので、本当に世代ど真ん中で、今も最終回の内容はなんとなく覚えている。


さて、小さい頃、みんなは何になりたかったのだろう。夢ってなんだったのだろう。作中にも出てくるけれど、「夢」ってとても大事なんだと思う。小さい頃は何にでもなれた。でも今は?いつからか、「あれは無理」「これはできないだろう」と蓋をし続けて来た気がする。やる、と決めたことだけは貫き通してきたし、叶えてきた。いつからか漠然と抱いていた将来の夢も叶えた。でもその先は?ただ日々流されるままに生きてきたんじゃない?そう思ったのは多分、どれみを見ていたあの頃の自分の気持ちを引っ張り出されたからなんだろうな、と思う。


どれみちゃんたちは、魔女になるため、魔女見習いとして日々を過ごしていく。「人の気持ちを変える魔法は使ってはいけない」この約束だけは今でも覚えている。魔法は万能じゃない、魔法が使えるからって何をしてもいい訳では無い、その事実は子どもにとって重いものじゃないか、と今なら思うけれど、当時は大して気にしていなかったし、そうやってどんなことにも善悪があることを知った気もする。

どれみちゃんの話で今でもはっきり覚えている回がある。「さようならMAHO堂」心を変える魔法を使ってしまったおんぷちゃんが、倒れてしまい、100年の眠りについてしまった話。助けたい一心で、どれみちゃんたちは魔法を使って、おんぷちゃんを起こしたものの、魔女失格として、魔法を使うためのタップを返し、それぞれの大切な物に戻ってしまったあの場面を忘れることはできない。それほど衝撃的だったのだ。世界には「ごめんなさい」で済まないことがあるんだ、とその日幼いながらにも理解した。


そんなことも教えてくれたどれみちゃんたちに会いたくて、映画館へ向かった。そこにいたのは、どれみちゃんじゃなくて、「どれみちゃんに憧れた、どれみちゃんのことが大好きだった女の子たち」だった。同じ立場の女の子たちが、大きくなって、偶然出会い、どれみちゃんを通じて旅行をし、仲良くなり、時々喧嘩もする話。年齢も出身地も違うけれど、「どれみちゃん」という共通点から彼女たちは始まった。

みんな何かしら人生に迷い、それでも藻掻いていた。

どれみちゃんたちはほとんど出てこない。それでも大好きだったどれみちゃんの世界がそこかしこに散りばめられていた。

途中、魔法を使ってみたら、と魔法玉を持って呪文を唱える場面があった。偶然か必然か、本当に魔法なのか、呟いた願い事は叶った。でもそれは悲しい形として叶ってしまった。遂には喧嘩に発展してしまう。その時、ミレさんが呟いた「こんな時、どれみちゃんはどうやって仲直りしていたんだっけ」という言葉。答えは「謝って仲直り」だったけれど、その時確かに思ったのだ。「そういえば、喧嘩しても必ず仲直りしていたけれど、どうしていたんだっけ」単純なことなのに、どれみちゃんなら魔法だって使えたし、と思ってしまったのだ。いつの間にか良くない大人になってしまったなあ(笑) どれみちゃんたちは確かに魔法を使えた。でも魔女見習いだったからなのか、あの世界だからなのか、全てを魔法に頼っていたわけではないし、魔法は万能ではなかったから、魔法だけで解決したことなんてほとんどなかった。魔法を使ってもきっかけを作ったり、ヒントが出されるぐらいで、あとはみんな自分の力で切り開いていったのだ。そんな当たり前のことを今になって思い出した。きっとミレさんも同じだったんだと思う。結局、直接会いに行ってお互いに謝って仲直りした。そんな当たり前のことをこの年齢になるとほとんどしない。だって、そもそも喧嘩する程まで行かず、上辺の付き合いの人だって多いから。子どもってすごい。些細なことで喧嘩しては仲直りして、何でもなかったようにまた遊び始める。大人にはすごく難しいことだ。


作中、こんな台詞があった「魔法を使ってないのに魔法みたい」。これはどれみちゃんたちのことを話した台詞だったけれど、ものすごく胸に刺さった。魔法を使ってないのに魔法みたいだって思った当時の気持ちを忘れていたなんて、びっくりした。当たり前のようにどれみちゃんたちは魔法を使っていた。でも魔法を使ってない場面でも魔法みたいにいろんなことができちゃうどれみちゃんたちに憧れた。「絵が上手いのも、仕事ができるのも魔法」「他人を思いやれるのも魔法」、正にそれだった。みんなそれぞれがそれぞれ自分の魔法を持っているのだ。自分の中にある魔法で、小さい頃はなんでも出来る気がしたし、実際いろんなことをやったんだと思う。きっと、今忘れてしまっているだけで、今もその魔法でたくさんのことを叶える力は持っているんだと思う。私の魔法は、まだまだ思い出せないけれど、どれみちゃんたちのお陰で魔法を持っていることには気付けた。


前に「なんでおジャ魔女どれみが好きだったんだろうね」と聞かれたことがある。セーラームーンプリキュアもリアルタイムでやっていた世代、何故か私はどれみだけが大好きだった。その時は「戦わないからかなあ。平和なのがよかったんじゃない?」となんとなく答えたけれど、違った。確かに戦いはあまり好きじゃなかったけれど、それ以上に魔法を使っていてもいなくても、いろんなことに挑戦して叶えていくどれみちゃんたちが大好きで、友だちのためにたくさん考えて魔法を使える姿に憧れたのだと今回の映画で気付かされた。魔法を使わなくても頑張れるどれみちゃんたちに、「私にもできるかも」と勇気をもらっていた。


大人になった今、すごくすごく大事なことを思い出させてくれてありがとう。やっぱり今も大好きな作品だったし、自分を形作ってくれた大切な作品だったね。


最後に大好きな呪文を1つ。



ハッピーラッキーみんなにとーどけ!